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ヨロシク。。。
by m_matsukawa
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往生際

往生際_c0013065_22555947.jpg

今ここに、ニンテンドーDSがあります。
クリスマスプレゼント用にラッピングはされていません。

直前にやっぱりDSとなった場合に、品薄だと困るので購入しておきました。

クリスマスに渡さずに、その後に"仕事で必要なので買った。
時々貸してあげる"というスタンスにするつもりです。
自分でも分っているのですが、往生際が悪いです。

どうしてここまでこだわってしまうのかというと・・・・・




はるか昔、学生時代にオイラ自身、自他共に認めるゲームオタクだったのです。
そんな訳でその血を受け継いだYoheもきっとゲームにはまっていくようになり、周囲に構わずゲームに熱中したり、目が悪くなったりしていくのが怖いのでしょう。

以下、昔のゲームに興味のない人は面白くない内容です。読み飛ばしてください。

最初のゲームとの出会いは、小学校3,4年の頃、遊びに行った友達の家にあったATARIというゲーム機でした。テレビにつないで、ホッケーのようなゲームをするものでした。

その後、ブロック崩しやインベーダがはやりましたが、当時喫茶店ぐらいしか置いてなく、喫茶店に行くこと自体ほんどなかった我が家では、全くといっていいほど縁のないものでした。

そんな状態が変わったのが、駄菓子屋の店頭にこれらのゲーム機がおかれるようになった頃からでした。それまでの駄菓子屋には、コインで遊べるルーレットのような電子機器(ゲーム?)がおいてありましたが、それらに加えてインベーダー他のゲーム機が置かれるようになったのです。
しかも、喫茶店では1回100円だったゲームが駄菓子屋では、種類に応じて10~100円と、まさに子供頃の自分にとってはパラダイス!!。

少ないこずかいや、本や文具を買うといってごまかしたジャリ銭を握り締め、駄菓子屋に通ったものでした。

次に生活が大きく変わったのが、ゲーム&ウォッチでした。
実際は、ゲーム9:ウォッチ1ぐらいの割合の携帯型のゲーム機。
名刺入れを一回り大きくしたような形状に、液晶(白黒・キャラクタ固定、順に点滅してあたかも動いているように見える)と左右にボタンが1個ずつあるものでした。ゲームはもちろん1種類しか出来ません。基本的には今で言う"落ちゲー"。落ちてくるものを拾うかよけるかするものです。

お年玉で買いました。パラシュートというゲームでした。
定価6,000円。ワイドシリーズと呼ばれる従来より画面の少し大きなタイプです。

きっと、この頃両親は、今のオイラと同じような悩みを抱えていたのでしょう。1種類のゲームしか出来ないので、当然飽きます。そうなると
友達と交換大会がはじまります。沢山のゲームで遊びました。
そのせいか目を悪くして、この頃から眼鏡生活が始まりました。

その後、ファミコンが流行った記憶していますが、目を悪くしてしまったせいか、我が家にファミコンがやってくることはありませんでした。家にはテレビが1台しかなく、テレビは親のものだから、それに繋いでゲームをすることによって、親が見たいテレビ番組(主に野球と相撲だったと思うが)が、見れなくなる、もしくはテレビが早く悪くなるのはけしからんという理由だったと記憶しています。

次に大きく変わったのは、高校入学時でした。
自分で言うのもなんですが、中学3年の時は本当によく勉強しました。多分人生の内で一番よく勉強したと自負しています。そのせいか、中学2年生の時には絶対に望めなかった高校に入ることが出来ました。
そんなオイラへのご褒美だったのか、入学祝にパソコンが我が家にやってきました。PC-8801mkIISRというモデルです。当時の定価で258,000円。なんだかガンダムか車のようなネーミングですが、りっぱなパソコンです。当時パソコンといえば、NECの
 PC-98xxシリーズ :高くて手が出せない
 PC-60xxシリーズ :エントリーモデル
 PC-88xxシリーズ :両者の中間的位置づけ
が主流でした。ですのであまり深く考えずに上記のモデルを選択しました。中間的モデルとはいえ、当時の物価も考慮するとかなりの高額商品です。

しかし、その当時Windowsなるものはまだ登場していません。
起動すると、黒い画面でカーソルが点滅しているだけです。
ここにBASICと呼ばれる言語でプログラムを書いてコンパイルという作業をすると、プログラムが完成します。
最初は、足し算や引き算のプログラムを作って喜んでいましたが、飽きてくると今度は本やI/O、Oh!PCのようなパソコン雑誌を買ってきて、そこに記載されたプログラムを真似して書いて"動いた、動いた"と喜んでいました。

それにも飽きてくると今度は、ゲームソフトを買ったり、借りたりして遊ぶようになりました。ザナドゥ、テクザーなんてゲームは今でも覚えています。

今こう考えると、ずいぶんと高いゲーム機でした。
でも、こうして今、IT業界の端くれで、PCやネットワーク関係の仕事で家族を養えるようになったのは、この当時の経験があったからだと思うことにしています。

それプラス、この時代はゲームセンターにも良く行きました。ゼビウス、ギャプラスなんかのいわゆるシューティングゲームが好きでした。ストリートファイターなんかの格闘ゲームが流行るようになると、技を覚えるのが面倒で次第に足が遠のくようになっていきました。

最後に買ったゲーム機は、セガから発売されたゲームギアという携帯型のゲーム機でした。ゲームボーイが全盛時代に、その対抗としてセガから発売されたものでした。モノクロだったゲームボーイに比べ、ゲームギアは、カラー液晶(解像度は低い)で、TVチューナーパックを別途購入すればテレビも見られるという代物で、ゲームボーイより絶対いいじゃんと購入したのですが、流行りませんでした(T_T)。

そんな訳で、ゲームに嵌るのいつでも可能。幼稚園時代からわざわざゲームをしなくてもよいというのが持論なんです。

さてさて、どうなることやら。

by m_matsukawa | 2007-12-14 22:58 | 親ばか~ん
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